といふわけで

目立たぬように はしゃがぬように 似合わぬことは無理をせず

通ぶってM-1グランプリを語るその③ 審査とその一連の騒動について

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勝ちに不思議の勝ちあり 負けに不思議の負け無し 松浦静山『剣談』

 

勝負事に運はつきものである。ただ、運で勝つことはあっても、負ける時には何か理由があるのだ。

 

〈勝ちに不思議の勝ちあり 負けに不思議の負けなし〉

 

プロ野球往年の名監督、野村克也監督が試合後の取材で、よく使ったことから「野村語録」の一つだと思われがちだが、元は長崎県平戸藩の9代目藩主、松浦静山の言葉である。

 

「勝ち」には偶然という要素が入り込むものだと素直に受け止める一方で、負けを「運が悪かった」と片づけるのではなく、失敗には必ず原因があるのだと、それを突き止めて次に生かす重要性を静山は説いている。

 

「自分が弱いから負けた。それだけです。」

 

2000年シドニー五輪柔道男子100キロ超級決勝戦

開始1分35秒、篠原信一の内また透かしがフランスのドイエに決まった。ガッツポーズの篠原、肩を落とすドイエ。しかし、主審の判定は篠原の一本でなくドイエの有効だった。結局、これが響いての銀メダル。「世紀の誤審」とも呼ばれた大事件だ。

 

本来、私情を述べてはいけない立場にある、NHK有働由美子アナウンサーは、畳を降りる篠原選手の姿をレポートする際、「今のは間違いなく篠原の一本。誤審だ!」と絶叫した。不可解な判定にやや涙を抑えつつ言葉を詰まらせる場面もあった。

 

私が着目したのはこの篠原選手の潔さにある。表彰台で肩を落とす篠原。当の本人が一番悔しかったであろう。しかし、この潔さがあったからこそ、ファンは心を打たれたのだ。だからこそ、今もなお篠原選手はテレビやCMで活躍できているのではないだろうか。

 

前置きが少し長くなったが、今回のM-1の審査について偉そうに語ろうと思う。

 笑いを審査する難しさ

私が昔通っていたラーメン屋はそのスープの濃厚さを売りに毎日行列を作っていた。大将はこう言っていた。

「みんな舌が違うから日本一うまいラーメンは決められないし作れない。だけど日本一濃いラーメンは作れる。」

そう言って三日三晩豚骨を煮込み続けた挙げ句、寸胴のそこが溶けて大きな穴が空き、自慢のスープが全滅するという伝説を持つ。

 

笑いだってそうである。人それぞれ好みが違う、ツボが違う。それはM-1の審査員だって同じだろう。では何を持って彼らは笑いを審査する立場といえるのか。

それは「実績」である。

 

群雄割拠のお笑い界で、長年に渡り生き抜いてきた実力、いくつもの修羅場をくぐり抜けてきた経験、様々なお笑い芸人の栄光や挫折を見届けてきた眼力が彼らにはある。

いずれも関西、関東の大御所から未だにテレビや舞台の最前線で活躍する猛者ばかり、お笑い戦闘力58万超えの化物たちなのだ。

 

その笑いの酸いも甘いも噛み分けた大スターたちが、それぞれに求められている

「キャラクター性」を活かし、視聴者の要求を消化しながら採点をしているのだ。

そこに我々が文句を言う事自体ナンセンスの極みである。

「あたおか」ですわ!(見取り図のネタより引用)

 

オール巨人は昨年のM-1の大会の再放送を見て、

自身が「88点」をつけたとろサーモン

「90点でも良かったかなあ~」と思い直したことを後のインタビューで告白した。

「昨日も松本君が点数発表の時にしまった~間違ったって表情を見せた瞬間が有りましたよね~人間ですのでね~、まず審査員をやった人間で一度も1点たりとも間違ったことは無い!って人は居ないと思います(笑)」

 

と、かまいたち得点発表時に思わず声をあげ焦った松本を例に挙げ、審査に理解を求めた。

 

審査を巡る騒動

今、昨年のM-1覇者であるとろサーモン久保田かずのぶによる“先輩芸人”上沼恵美子への批判が、騒動に発展している。

 

上沼は自身がファンだと語るミキに98点の高得点をつけ、「(ミキの)ファンだな。ギャロップの自虐(的なネタ)と違って突き抜けてる」とコメント。

同じくファンを自認するジャルジャルの漫才後には「ジャルジャルはファンなんですが、ネタは嫌いや」と話した。

 

それについてインターネット上では“好き嫌い”で点数をつけているとして批判の声が続出。

このほかにも、トム・ブラウンの漫才後に「未来のお笑いって感じかな。私は歳だからついていけないや。」などと素直に胸の内を明かしたが、これに対しても「審査員を辞退すべき」といった声があがっていた。

 

 そして、出演したスーパーマラドーナの武智は番組終了から数時間後、動画をインスタライブで配信。その中で、昨年優勝したとろサーモンの久保田は荒れた口調で次のような発言をした。

「酔ってるから言いますけど、(審査員を)そろそろもうやめてください」

「自分目線の、自分の感情だけで審査せんといてください」

「お前だよ、一番お前だよ。わかんだろ、右側のな」(動画は現在削除済)

 

審査員席の一番右の席に座っていた上沼を公然と批判したという情報は、一気にネット上で拡散したのである。

 

この県に関して、はっきり言ってがっかりだ。幻滅だ。とろサーモンは昔からファンだった。ツッコミにすかされまくる漫才やってた頃、妹と腹抱えて笑ったのを覚えている。スーパーマラドーナだってラストイヤーだしすごく応援していた。

 

上沼恵美子の「個人の好み」感を出すスタイルは、むしろ上沼成の優しさだと私は思っている。「私がこう思ってるだけですよ。」という体で、芸人をパーソナリティを傷つけないようにする、あの人なりの優しさだと私は捉えていたし、何より審査についてはほぼ同意見だった。

 

「負けに不思議の負け無し」

どれだけ悔しかろうが、負けた理由は自分にあるのだ。その審査員からあと一点がもらえなかった理由がどこかにあるのだ。

お笑い芸人やろ。夢売る仕事やろ。辛くてもしんどくても、その部分客に見せるなよ。

プライド持ってくれよ。

 

まあ、何はともあれ、今回も様々なメリット話題を生んだM-1グランプリ。

17年前の私のように、いつまでも、テレビの向こうの漫才師に本気で憧れるような番組であってほしい。

霜降り明星には「流石チャンピオンやな!」って心から思える漫才師であり続けてほしいと願う